黒き商人の盟友の記憶
「俺のアップルパイがない!くそー!」
建物に挟まれたせまい路地に怒号が響く。私はその主に見つからないよう物陰で息をひそめていた。
「そんなところに置いたお前が悪いな!」
「残念だったな、ははは!」
地面を踏み鳴らす彼を茶化すような声が続いた。
彼が探している物は確かに私の手の中にある。
白の国の門の外側にあるこの街は、市場の方であれば活気に溢れているが、一歩裏路地に足を踏み入れると、こうした光景は日常茶飯事なのだ。
遠くから聞こえていた市場の賑わいが、店仕舞いを始める声に変化するこの時間帯が狙いめである。少しの罪悪感に胸が痛むが、私にも生活があるのだ。この時間にこんな場所へ大事な物を置いておいた彼に、運がなかったのだ。
彼らは諦めたようで会話もすでに別の話題に移っているが、彼らがこの場を離れるまで油断してはならない。私は息を殺して体をさらに縮めた。
やがてターゲットである3つの声と足音が遠のいて行った。彼らがこの場から完全に去ったことを確認した私は大きく息を吐いて立ち上がった。固まった体を伸ばしながら空を見上げると、さきほどまでの深い橙色に紫色が滲んでいることに気が付き、道理で、と体と脳の疲労度に納得した。
「やったな、ミク!」
服についた砂をはたいていると近くの建物の影から、幼い頃から行動を共にしている男、カイトが近付いてきた。
「こんなの楽勝だよ!あの人たち、隙がありすぎるんだもん。」
肩をすくめながらそう言うと彼は同調したように笑った。
「さすがだな。ミクのおかげで今日も食いっぱぐれずに済みそうだ。……僕の方はこんな感じだよ。」
カイトは気まずそうに小さな袋から数枚の金貨を出して見せた。
商人であるカイトは毎日門の中へと足を運んでいる。この国に来てすぐの頃、私が見つけた虹色に輝く石やその他にも白の国以外で拾ったものを揃えて商売を始めたのだ。しかし、一部で噂になることはあっても肝心の売れ行きは伸び悩んでいた。そのため僅かな収入と盗んだ食料を頼りながら毎日を送っている。
「それでも、これだけあれば数日は生活できそうじゃん。カイトのおかげだよ。いつもありがとう。」
今日のカイトの収入もささやかなものだったが、私のアップルパイと合わせれば数日生きるには十分だ。
それでも、たった数日……。思わずため息を吐いてしまった。
本当はもうこんな生活からは抜け出したかった。しかし、これ以外に私たちが生きていく術がないのも事実であり、毎度胸に忍び込んでくる罪悪感から目を背けて、自分を正当化させながら毎日を送るのに精一杯だった。ただ、この生活は不自由だが、だからと言って私は不幸だとは思っていないのだ。
「……。」
カイトの方へ視線を向けると、その瞳にも複雑な感情が渦巻いているのが見て取れた。カイトはそんな風には思えないようだ。
―ねえ、カイトは今、何を考えているの?
***
今より少し前、生きる場所を求めてたどり着いたのがこの白の国だった。小さいが豊かで平和な国だと周辺地域でも評判の国だった。
しかし――。
「この場から去れ!お前たちのような外の者までかくまってる余裕はない!」
白い騎士の制服をまとった男が、冷たい視線のまま門を閉ざした。
「なんなんだよ!あんな乱暴に!何が豊かで平和だ!」
カイトは地面を蹴りつけて叫んだ。
「落ち着きなよ、カイト」
「なんでミクはそんなに冷静でいられるんだ!?」
「だって仕方ないよ。私たちと同じように、あの人たちにも人生があるんだから……。」
それにどうやらタイミングも悪かったようだ。普段から周りにいる人々の会話に聞き耳をたてているためいろんな情報が手に入る。
この国はつい最近ドラゴンに襲われた。国はなんとかドラゴンを退けたものの、体制は一変、さらに城下町と外郭をつないでいる門は閉ざされてしまい、その影響で門外の住民たちは混乱の渦に飲み込まれているようだった。
情報が錯綜する中、私たちは城下町の門へと向かった。本当に門が閉まっていても、もしかしたら話を聞いてくれるかもしれない、もしかしたら受け入れてもらえるかもしれないと淡い期待を抱いていたのだ。しかし、門の中の彼らは聞く耳を持たず、もちろん抵抗したが、それも全く敵わず私たちは呆気なく追いかえされてしまったのだ。門を閉ざしたあの男の冷たい視線は忘れられないだろう。
「ミクは悔しくないのか!?」
「悔しいよ。あんな言い方されて、無理やり追い出されて……やり返したいって思うよ。」
「なら!」
「でもさ、あいつらと同じになるのは嫌だよ。」
私の言葉にカイトの肩がわずかに揺れた。彼は口を開きかけたが、言葉にならなかったようでただ沈黙だけが広場に滲んだ。
つい先程まで明るかった広場がいつの間にか赤く染まり、私とカイトの影が伸びる。
街で入ってきた情報は間違っていなかった。国は復興のため門を閉ざすと発表していたのだが、実際のところ門の中ばかり復興が進み、外側はほとんどドラゴンから受けた被害のままなのだそうだ。「門の外は見捨てるのではないか」と噂する者もいた。私たちもこのまま外側で暮らしたら見捨てられてしまうのだろうか。
私は空を見上げてこの長い沈黙を切った。
「門の外が中よりも素晴らしいって思わせよう。」
突拍子のない私の提案にカイトは目を丸くした。
「そんなのどうやって……。話の通じないあいつらにどうやってわからせるんだよ!第一、俺たちは今日この国に到着したんだよ!?」
「見なよ。門の外は空が想像できないくらい遠い向こうまで広がってる。この景色をあいつらは捨てたんだ。閉塞的な世界で生きることを決めた可哀想な人たちなんだよ。」
カイトは僅かに眉を寄せ、首を傾ける。その表情には、迷いと困惑が滲んでいた。
彼とは長い付き合いだ。先ほどの長い沈黙の間、彼がどんなことを考え練っていたのかくらい手に取るようにわかる。きっと彼はその怒りを武器に預けようとしていた。私はカイトにそんなことをしてほしくないのだ。
カイトの懐疑的な反応に私は少し焦る。
「カイト。この石見て。」
私はポケットにしまっていた石を夕日に掲げて言った。ここまでの道中でたまたま拾ったものだ。太陽の光に向けると虹色に輝きだす。

「私たちはこの石を自分たちで見つけたよね。でもあいつらはこれが自然に生まれることもきっと知らないんだ。……そうだ。この石、あいつらに売ったらいいんじゃない?」
「門の中で売る?俺たちはあそこに入れないのにか?」
「入れるようになればいいんだよ!」
正直、すべて思い付きだった。この案が正解かどうかなんて、わからない。それでもカイトには、あいつらと同じになってほしくなかった。
私は急いで案をひねり出す。
「たとえば……不思議なものを売る商人とかどう?この石とかきっと中の人にとっては不思議なものだよね。」
「……商人、か。なるほど、結構悪くないかもしれない。」
カイトは顎先に手を当てながら頷いてくれた。その反応を見て、心の奥で強張っていたものは静かに溶けた。かなり必死になっていたことに、今さら気付く。
「よし!そうと決まったら品物を集めに行かないとだね。それも不思議なもの、ね!」
彼は呆れた表情でやれやれ、と小さく笑って見せた。
これからのことはまだ何も決まっていない。しかし、少なくともこの瞬間、カイトの目には光が戻った。
それなら、今はそれで十分だ。
